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自由とはだれにも束縛されないとか経済的・社会的な制約を受けずに好きなこと、したいことができる、という意味にとらえるだろう。しかし、ロシアの石油王は離婚時に配偶者に全財産の半分を持っていかれたし、アメリカ大統領も自分が実現したい政策をなかなか実施することはできない。なかなか自由ということはない。もし世界最高の権力を手にしたとしても、アレクサンダー大王のように、その地位をねらう者から身を守るのに大変不自由な思いをすることは間違いない。

内面的にも同様である。何かが欲しい、したいと思えば欲望それ自身が制約条件になる。マイホームが欲しい。なるほど家を所有することに法律上の制約はない。しかしそのために頭金をためたり長期のローンを返済するために節約生活を余儀なくされ、仕事をやめるなんてできなくなる。スキルアップと称して定時後に外国語を勉強したり、嫌な上司におべっかを使い、休日にまで接待ゴルフに出かけたり行きたくもない飲み会に出て人脈とやらを作らざるを得なくなる。

自由とは何も欲しがらないことである。無理に欲望を押さえつける、清貧を気取ったり無欲のふりをすることではない(そんなことすると後で炸裂して大変面倒なことになる)。何かを得ることでは長続きする満足は得られない。幸福とは今まさにこの瞬間に完全に没入することであり、そこで得られる満足は無条件のものだ。無条件であるとは、つまり病んでいても貧窮の中にあっても、奪われることはない、それは決して逃げていかないということ。それを知り、それを得て、その中にあって常に満足していること、それこそが自由の意味するところとなる。