v014

良寛和尚は「大愚」と号した。どあほう、という意味である。さよう、悟るということは「常に考えない」ということであり、もっと言うと心がそもそもない。心があるとどうしても苦しむ。苦しまない人、苦しみを生み出す執着から解放された人からは心がなくなっている。

そして何もしない。何かをしようとすると心を使わないといけない。心とそれが生み出す苦しみから解放されてくつろぎの中にある人が、面倒で苦しいだけの行為をわざわざしようとはしない。心がないのだから当然感情もない。近親者が苦しもうが何の影響も受けないし、社会悪に対して義憤を感ずることもない(これに関しては真実在においてはそもそも何も起こっていない、ということへの理解もあるのだが)。

知識を得ること、それを活用して金を儲けることが「良い事」とされる、そして愛だの恋だのにまみれて七転八倒するのが「人間らしい」とされる世間的な価値観からみたら「人でなしで怠け者のアホウ」以外の何者でもない、というのが悟りの本当の姿である。