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死別ということはたいそう苦しいことであるのにどうしても避けられない。気の合う友人との別れは非常に手痛い。家族同然に過ごしてきた動物が死んだ時のダメージは強烈だ。自分の子供に先立たれたなら「このまま狂ってしまって何もかもわからなくなったらどれほど楽か」と思うほどの苦痛を味わうことになる。そしていずれこの世を去る時間があなたのもとにもやってくる。あらゆる他者、そして自分自身ともおさらばする瞬間が。

しかし、死とは生きていることと実はそう変わりがなく、同じものの一側面なのだ。私たちが生きていると思っているこの「現実」においては死によって、その人が集積したデータ(=記憶)や人格へのアクセスは完全に断ち切られる。死者はもの思うことも発言することも食事をとることもない。

しかしそれは万物を認識によって成立させている世界においてのことである。実際には境界を持たない万物を認識と言葉によって切り離し、あたかも多が成立しているように、私たちがしむけている。死とはこちら側の世界でその肉体の活動、すなわち変化が不連続になった、というだけのことで実のところ全体においては何も変化していない。